昭和40年代
フランソワ・トリュフォーはじめフランス・ヌーベルバーグの作家たちにも尊敬されていたサスペンスの王様、アルフレッド・ヒッチコックもさすがに1960年代の後半に入ると精彩を欠き、「ヒッチコックも終わった」と言われるようになりました。そんなときに、…
1960年代から70年代にかけては、暴力とセックスの時代であると同時に、ラブ・アンド・ピースの時代でもありました。後者を象徴するミュージカルが「ヘアー」です。Wikipediaによりますと、1967年10月にオフ・ブロードウェイで初演、もろもろ手直しが施され…
かつて東和とか、ユナイトとかいった外国映画の配給会社は、洋画ファンのクラブを組織し、会報を出していました。その「東和シネクラブ」、昭和46年(1971年)4月30日発行の会報の表紙です。 米国人女優、ミムジー・ファーマーです。その経歴などは後から、…
昭和(戦後日本)を代表する映画監督というと、すぐに黒澤明という話になりますが、日本だけでなく国際的にも評価が高かった監督といえば、小林正樹を忘れていはいけません。その晩年の一作... 1971年(昭和46年)公開の「いのちぼうにふろう」。原作は山本…
インドシナ戦争、アルジェリア戦争というフランスの2つの植民地における独立戦争を舞台にした映画です。 1966年(昭和41年)公開の「名誉と栄光のためでなく」。植民地の独立を鎮圧するために投入されたフランスのパラシュート部隊を主人公にした物語が、ハ…
1960年代後半から1970年代にかけての米国カルチャーの中心には、自動車とロック・ミュージックがありますが、それが底抜けの明るさという風にはならなかったのは、ベトナム戦争のダークな影響が心の重くのしかっていたからです。そんな時代の米国の心象風景…
テレビの隆盛に対抗して、映画は豪華キャストとスケールでテレビを圧倒しようとした時代がありました。そんな時代の一作です。 威風堂々の戦国武将を演じる三船敏郎。1969年公開の「風林火山」のプログラムの表紙です。昔の映画俳優には貫禄がありました。た…
日本が生んだ国際スター、三船敏郎はハリウッド映画に積極的に出ていました。そんな一作です。 三船敏郎、リー・マーヴィン主演、ジョン・ブアマン監督の「太平洋の地獄」。1968年(昭和43年)の作品です。太平洋戦争下、太平洋の孤島にたどり着いた米兵と日…
三船敏郎演じるサムライが西部で活躍する異色のウェスタンです。しかも、マカロニ・ウェスタンならぬ、フレンチ・ウェスタンというか、多国籍ウェスタンです。 1971年(昭和46年)公開の「レッド・サン」。日本の三船敏郎、米国のチャールズ・ブロンソン、フ…
「フーテンの寅さん」で国民的キャラクターとなった渥美清さんですが、「男はつらいよ」シリーズだけの人ではありません。1965年(昭和40年)には、こんな意欲作にも出ていました。 羽仁進監督の「ブワナ・トシの歌」。有楽町にあった映画館、ニュー東宝のプ…
シャルロット・ゲンズブールの両親であるジェーン・バーキンとセルジュ・ゲンスブールは1970年代のスキャンダラスなセレブ・カップルでした*1。その共演作がこちら... 1970年製作、1971年(昭和46年)日本公開のフランス映画「ガラスの墓標」。そのプログラ…
1960-70年代、日本映画のアートシーンで最も存在感があったのはATGでした。そのATGと現代映画社の提携作品... 吉田喜重監督が夫人の岡田茉莉子主演で作った「煉獄エロイカ」。1970年(昭和45年)の公開で、伝説の映画館「新宿文化」のチラシです。裏は、こん…
既に一度、映画のチラシを紹介しましたが http://bit.ly/LxGRP5">*1、プログラムが発掘されましたので、改めまして... 1969年(昭和44年)公開の「失われた男」。ニュー東宝のプログラムの表紙です。黒人男性は米国の名優、シドニー・ポワチエ、寄り添う女性…
レイ・ブラッドベリが91歳で亡くなりました。ブラッドベリの小説の映画化というと、有名なのは、フランソワ・トリュフォー監督の「華氏451度」ですが、この小説もロッド・スタイガー主演、ジャック・スマイト監督で映画化されました。 1969年(昭和44年)…
ウィキペディアによると、テレビ番組として1966年(昭和41年)に放映され、映画版は1967年(昭和42年)から自主上映方式で公開された、この作品 http://bit.ly/M75dQj">*1... 「若者たち」。2つ折りのチラシの表紙です。半世紀たった21世紀に、1960年代の市…
1960-70年代は「政治の時代」で、世界の映画作家たちは積極的に政治的なメッセージを発信していました。そんな時代に、フランスの映画作家たちが共同でベトナム反戦ドキュメンタリーがこちらのちらし... 1967年製作の「ベトナムから遠く離れて」。日本公開は…
フランス映画で成功したチャールズ・ブロンソンはイタリア映画にも出ています。それが、こちら.. 「雨の訪問者」と同じ1970年(昭和45年)公開の「狼の挽歌」。そのプログラムの表紙です。こちらは、がちがちのアクション映画でした。テリー・サバラスも出て…
「さらば友よ」で、主役級スターとしての注目を浴びたチャールズ・ブロンソンですが、その評価を決定づけたのは、「太陽がいっぱい」「禁じられた遊び」など数々の名作を送り出してきたフランスの名匠、ルネ・クレマン監督による、この心理サスペンス映画で…
チャールズ・ブロンソンは個性派のアクション俳優として「荒野の七人」「大脱走」「特攻大作戦」などで存在感を発揮していましたが、主役として世界の映画マーケットで稼げることを知らしめたのは、米国ではなく、フランスの映画でした。ブロンソン大ブレー…
映画初期のスラップスティック・コメディの面白さを1960年代に復活させた映画がこちら... 1965年(昭和40年)公開、ブレイク・エドワーズ監督の「グレートレース」。そのプログラムの表紙ですが、保存状態が悪かったので、ちょっと汚れています。 映画は20世…
松本清張の推理小説は映画やテレビになっているものが多いですが、その中でも傑作として評価が高い映画といえば、こちらでしょう。 1974年(昭和49年)製作の「砂の器」。その公開時のプログラムの表紙です。監督は野村芳太郎。脚本は橋本忍と「男はつらいよ…
「男と女」の世界的な大ヒットでブレークしたクロード・ルルーシュは、ロマンティックな題材を好む技巧派の監督というイメージがありますが、その一方で、オムニバス映画の「ベトナムから遠く離れて」に参加したり、社会派としての顔も持っています。そんな…
ともあれ、こちらの特別鑑賞券... 創価学会の礎を築いた前会長、戸田城聖氏の生涯を描いた池田大作会長の小説の映画化であります。歳がわかってしまいそうですが、学校に熱心な信者の友だちがいて、連れて行かれました。映画は好きだったので見に行きました…
1971年製作、1972年(昭和47年)日本公開ですから、既にテレビも含めてカラー全盛期に、モノクロで撮影された青春映画といえば、こちら... 「ラスト・ショー」のプログラムの表紙です。原題の「The Last Picture Show」のほうが映画の内容をよく表現していま…
いまは韓流の若手男優さんたちが女性たちの注目の的ですが、1970年代は、イタリア、フランスなど欧州系のきれいな若手男優が女性たちの間で絶大な人気を誇り、一世を風靡していました。そんなひとりで、イタリア代表ともいえるのが、レイモンド・ラブロック…
フランス映画でミュージカルというと、ジャック・ドミー(ドゥミ=監督)とミシェル・ルグラン(音楽)のコンビが有名。そのふたりが「シェルブールの雨傘」に続いて生んだ映画が、この作品... 1967年(昭和42年)公開の「ロシュフォールの恋人たち」です。…
クリント・イーストウッドの「ダーティ・ハリー」とともに、1970年代を代表する刑事映画であり、追跡型アクション映画の傑作。それがこちら... 「ダーティ・ハリー」と同じく、1971年製作、1972年(昭和47年)に日本で公開された「フレンチ・コネクション」…
1970年代は新しいタイプの刑事モノ映画が生まれてきました。その代表的な1本が1971年製作、1972年(昭和47年)日本公開のこちらです... 44マグナムをぶっ放すクリント・イーストウッド。ご存知、「ダーティ・ハリー」です。それまでの刑事物といえば、小ぶり…
ファッションから音楽まで、これほど世界のポップ・カルチャーに影響を与えた映画はないかもしれません。みんな、ハーレー・ダビッドソン風のバイクに乗りたくなった、1969年製作、1970年(昭和45年)日本公開の、この米国映画... プログラムの表紙にある映…
今では、クラシックな米国の青春映画だが、1968年(昭和43年)に日本で公開されたときは、これもアメリカン・ニューシネマの流れの作品と位置づけられていました(製作は1968年)。ダスティン・ホフマンを一躍ビッグスターにした「卒業」... 日比谷みゆき座…