1971年4月、ミムジー・ファーマーが表紙の「東和シネクラブ」

 かつて東和とか、ユナイトとかいった外国映画の配給会社は、洋画ファンのクラブを組織し、会報を出していました。その「東和シネクラブ」、昭和46年(1971年)4月30日発行の会報の表紙です。

 米国人女優、ミムジー・ファーマーです。その経歴などは後から、紹介するとして、この号では、東和が配給するスティーブ・マックイーンの「栄光のル・マン」ですとか、三船敏郎のサムライ・ウェスタン「レッド・サン」の撮影快調などといった記事があります。しかし、70年代だなあ、と思わせる映画はこちらでしょう。

 スウェーデン映画の「私は好奇心の強い女」です。表現の自由、性の自由からポルノ解禁論争の末に公開された歴史的な映画です。製作は1967年ですが、日本公開は1971年。加えて、かなりカットされての公開でしたから、女性の性の解放、フリーセックス、セックス革命の時代を象徴する一作です。この時代、性の解放は女性だけにとどまりません。というわけで、ページをめくると、この映画の紹介になります。

 米国映画の「真夜中のパーティ」。原題が「The Boys in the Band」で、上の右ページの見出しにあるように、登場人物9人が全員ゲイという映画です。トム・ハンクスの「フィラデルフィア」よりも、はるか以前、ホモセクシャルに対する差別がさらに激しい時代でしたから、かなり刺激的な設定の映画でした。バート・バカラックの音楽が使われているところも、この時代らしいかもしれません。監督は「フレンチ・コネクション」「エクソシスト」のウィリアム・フリードキンです。

 女性の自由なセックスに、男性の同性愛...。1960年代後半から70年代にかけては、既存の秩序や常識(体制)に対する反抗の象徴として、あるいは、偽善を排し、ありのまま本音で生きるシンボルとして、セックス革命があった時代でもあったわけですが、表紙のミムジー・ファーマーの映画も、その系列かもしれません。

 フランス映画の「渚の果てに この愛を」。見出しに曰く、「わたしが愛したのは兄さん、それがなぜいけないのか...」。ここまで飛んでいってしまった時代だったわけです。何となく見境なく、色気づいていた時代のようにも見えてきますが、それだけ、社会が若かったんですねえ。若い人がカルチャーの流れをつくっていた時代なんでしょう。

 最後にミムジー・ファーマーの紹介と目次です。

 この目次、かなりの簡略版で、前述した「注目の《レッド・サン》がクランク快調です トシロー・ミフネただいま奮闘中」などといった記事の説明もありません。「私は好奇心の強い女」の作品紹介も抜けています。

 洋画ファン向けの会報とあって、右ページにあるように海外ツアーの広告がよく入っています。

 で、「私は好奇心の強い女」、今はノーカットでDVDになっています。

 ちなみに、この映画、イエロー編とブルー編があります。上の映画は「YELLOW」です。
 
 「真夜中のパーティ」。こちらはVHSしか出ていなかったようです。
真夜中のパーティー [VHS]

真夜中のパーティー [VHS]

 「渚の果てに この愛を」は、DVDにもVHSにもなっていないようです。さすがに、こちらの路線まで来ると、あざとくて、ちょっと、ちょっとだったんでしょう。