プログラム
昭和49年(1974年)8月発行のATGの「アートシアター」111号の表紙です。 原田芳雄主演、黒木和雄監督の傑作「竜馬暗殺」であります。古いので、ちょっと表紙が汚れています。表紙を開くと、目次です。 映画評論の重鎮、双葉十三郎のコラムの下に、小さく目次…
ミュージカル映画の定番といえば、こちらです。 1965年(昭和40年)製作・公開の「サウンド・オブ・ミュージック」。スカラ座のプログラムの表紙ですが、この発行年を見ると、昭和45年(1970年)となっているので、リバイバル・ロードショーのときのもののよ…
以前、「ロシュフォールの恋人たち」を紹介しましたが http://bit.ly/NqQRrh">*1、我が家で発掘されたプログラムには、ミュージカルがかなりあります。ということで、ミュージカルです。 1964年(昭和39年)公開の「マイ・フェア・レディ」。ブロードウェイ…
フランソワ・トリュフォーはじめフランス・ヌーベルバーグの作家たちにも尊敬されていたサスペンスの王様、アルフレッド・ヒッチコックもさすがに1960年代の後半に入ると精彩を欠き、「ヒッチコックも終わった」と言われるようになりました。そんなときに、…
いま開かれているサッカー欧州選手権「EURO2012」の舞台となっているポーランド*1。グダニスクにも、その会場のひとつがあります。そのポーランド、そしてグダニスクを舞台にした映画がこちら... 1977年に製作され、1980年(昭和55年)に日本で公開された、…
1960年代から70年代にかけては、暴力とセックスの時代であると同時に、ラブ・アンド・ピースの時代でもありました。後者を象徴するミュージカルが「ヘアー」です。Wikipediaによりますと、1967年10月にオフ・ブロードウェイで初演、もろもろ手直しが施され…
8日間の休暇でパリまで恋人に会いに来た航空兵。その恋人が誘拐され、取り戻そうと追っかけているうちにブラジルのリオへ、というコメディ・タッチの追っかけフランス冒険活劇。そのプログラムの表紙がこちら... 1963年製作、1964年(昭和39年)公開の「リオ…
昭和(戦後日本)を代表する映画監督というと、すぐに黒澤明という話になりますが、日本だけでなく国際的にも評価が高かった監督といえば、小林正樹を忘れていはいけません。その晩年の一作... 1971年(昭和46年)公開の「いのちぼうにふろう」。原作は山本…
インドシナ戦争、アルジェリア戦争というフランスの2つの植民地における独立戦争を舞台にした映画です。 1966年(昭和41年)公開の「名誉と栄光のためでなく」。植民地の独立を鎮圧するために投入されたフランスのパラシュート部隊を主人公にした物語が、ハ…
1960年代後半から1970年代にかけての米国カルチャーの中心には、自動車とロック・ミュージックがありますが、それが底抜けの明るさという風にはならなかったのは、ベトナム戦争のダークな影響が心の重くのしかっていたからです。そんな時代の米国の心象風景…
「フラバー」といっても、ロビン・ウィリアムス主演の1997年のリメイクではなく、1961年(昭和36年)のオリジナル版、元祖「フラバー」。そのプログラムの表紙です。 主役の「うっかり博士」として発明にいそしんでいるのは、フレッド・マクマレーです。いつ…
テレビの隆盛に対抗して、映画は豪華キャストとスケールでテレビを圧倒しようとした時代がありました。そんな時代の一作です。 威風堂々の戦国武将を演じる三船敏郎。1969年公開の「風林火山」のプログラムの表紙です。昔の映画俳優には貫禄がありました。た…
日本が生んだ国際スター、三船敏郎はハリウッド映画に積極的に出ていました。そんな一作です。 三船敏郎、リー・マーヴィン主演、ジョン・ブアマン監督の「太平洋の地獄」。1968年(昭和43年)の作品です。太平洋戦争下、太平洋の孤島にたどり着いた米兵と日…
三船敏郎演じるサムライが西部で活躍する異色のウェスタンです。しかも、マカロニ・ウェスタンならぬ、フレンチ・ウェスタンというか、多国籍ウェスタンです。 1971年(昭和46年)公開の「レッド・サン」。日本の三船敏郎、米国のチャールズ・ブロンソン、フ…
1964年(昭和39年)ですから、東京オリンピックの年に公開された日米合作映画のプログラムです。 「あしやからの飛行」ーーご覧のように、手前からユル・ブリンナー、リチャード・ウィドマーク、ジョージ・チャキリスといった豪華出演陣です。チャキリスは19…
「フーテンの寅さん」で国民的キャラクターとなった渥美清さんですが、「男はつらいよ」シリーズだけの人ではありません。1965年(昭和40年)には、こんな意欲作にも出ていました。 羽仁進監督の「ブワナ・トシの歌」。有楽町にあった映画館、ニュー東宝のプ…
シャルロット・ゲンズブールの両親であるジェーン・バーキンとセルジュ・ゲンスブールは1970年代のスキャンダラスなセレブ・カップルでした*1。その共演作がこちら... 1970年製作、1971年(昭和46年)日本公開のフランス映画「ガラスの墓標」。そのプログラ…
既に一度、映画のチラシを紹介しましたが http://bit.ly/LxGRP5">*1、プログラムが発掘されましたので、改めまして... 1969年(昭和44年)公開の「失われた男」。ニュー東宝のプログラムの表紙です。黒人男性は米国の名優、シドニー・ポワチエ、寄り添う女性…
レイ・ブラッドベリが91歳で亡くなりました。ブラッドベリの小説の映画化というと、有名なのは、フランソワ・トリュフォー監督の「華氏451度」ですが、この小説もロッド・スタイガー主演、ジャック・スマイト監督で映画化されました。 1969年(昭和44年)…
フランス映画で成功したチャールズ・ブロンソンはイタリア映画にも出ています。それが、こちら.. 「雨の訪問者」と同じ1970年(昭和45年)公開の「狼の挽歌」。そのプログラムの表紙です。こちらは、がちがちのアクション映画でした。テリー・サバラスも出て…
「さらば友よ」で、主役級スターとしての注目を浴びたチャールズ・ブロンソンですが、その評価を決定づけたのは、「太陽がいっぱい」「禁じられた遊び」など数々の名作を送り出してきたフランスの名匠、ルネ・クレマン監督による、この心理サスペンス映画で…
チャールズ・ブロンソンは個性派のアクション俳優として「荒野の七人」「大脱走」「特攻大作戦」などで存在感を発揮していましたが、主役として世界の映画マーケットで稼げることを知らしめたのは、米国ではなく、フランスの映画でした。ブロンソン大ブレー…
映画初期のスラップスティック・コメディの面白さを1960年代に復活させた映画がこちら... 1965年(昭和40年)公開、ブレイク・エドワーズ監督の「グレートレース」。そのプログラムの表紙ですが、保存状態が悪かったので、ちょっと汚れています。 映画は20世…
松本清張の推理小説は映画やテレビになっているものが多いですが、その中でも傑作として評価が高い映画といえば、こちらでしょう。 1974年(昭和49年)製作の「砂の器」。その公開時のプログラムの表紙です。監督は野村芳太郎。脚本は橋本忍と「男はつらいよ…
1971年製作、1972年(昭和47年)日本公開ですから、既にテレビも含めてカラー全盛期に、モノクロで撮影された青春映画といえば、こちら... 「ラスト・ショー」のプログラムの表紙です。原題の「The Last Picture Show」のほうが映画の内容をよく表現していま…
フランス映画でミュージカルというと、ジャック・ドミー(ドゥミ=監督)とミシェル・ルグラン(音楽)のコンビが有名。そのふたりが「シェルブールの雨傘」に続いて生んだ映画が、この作品... 1967年(昭和42年)公開の「ロシュフォールの恋人たち」です。…
クリント・イーストウッドの「ダーティ・ハリー」とともに、1970年代を代表する刑事映画であり、追跡型アクション映画の傑作。それがこちら... 「ダーティ・ハリー」と同じく、1971年製作、1972年(昭和47年)に日本で公開された「フレンチ・コネクション」…
1970年代は新しいタイプの刑事モノ映画が生まれてきました。その代表的な1本が1971年製作、1972年(昭和47年)日本公開のこちらです... 44マグナムをぶっ放すクリント・イーストウッド。ご存知、「ダーティ・ハリー」です。それまでの刑事物といえば、小ぶり…
ファッションから音楽まで、これほど世界のポップ・カルチャーに影響を与えた映画はないかもしれません。みんな、ハーレー・ダビッドソン風のバイクに乗りたくなった、1969年製作、1970年(昭和45年)日本公開の、この米国映画... プログラムの表紙にある映…
今では、クラシックな米国の青春映画だが、1968年(昭和43年)に日本で公開されたときは、これもアメリカン・ニューシネマの流れの作品と位置づけられていました(製作は1968年)。ダスティン・ホフマンを一躍ビッグスターにした「卒業」... 日比谷みゆき座…