米国映画
ユル・ブリンナーの出世作であり、ミュージカルの古典です。 ご存知、「王様と私」。1956年(昭和31年)の作品ですが、こちらはそれから10年たった1966年(昭和41年)にリバイバル上映された時のパンフレットの表紙で、映画館は東京・日比谷のスカラ座です。…
「ドクター・ノオ(007は殺しの番号)」「ロシアより愛をこめて(007 危機一発)」など007シリーズの大ヒットで、1960年代はスパイ映画ブームでした。エキゾチックな国際都市で、美女とスパイの大活劇というパターンです。そんな時代に作られたスパイ映画の…
ハリウッドは聖書を題材にとった超大作映画が好きですが、イタリアの大プロデューサー、ディノ・デ・ラウンレンティスが米国との合作で、つくった超大作がこちらです。 1966年(昭和41年)製作・公開の「天地創造」のプログラムの表紙です。ウィキペディアに…
名優ピーター・オトゥールが引退を表明しました http://bit.ly/NfSrgu">*1。そんなわけで、ピーター・オトゥールの映画のプログラムを。「アラビアのロレンス」初公開時のプログラムも我が家では発掘されたのですが、ここはちょっと趣向を変えて、ミュージカ…
昭和13年(1938年)6月16日発行の新宿「太陽座」のちらしです。昭和16年12月の日米開戦まで3年半という時期ですが、日本人は「街のフィルム・ライブラリー」で洋画を楽しんでいたようです。その表紙がこちら... ジュリアン・デュヴィヴィエ監督のフランス映…
いまはシネコンになっているようですが、昔、新宿歌舞伎町・ミラノ座のビルの4階にあった映画館「名画座ミラノ」の小さなチラシです。 B6サイズぐらいのチラシが3つ折りになったもので、1972年(昭和47年)8月から9月にかけての上映予定です。表紙はキャプ…
ミュージカル映画の定番といえば、こちらです。 1965年(昭和40年)製作・公開の「サウンド・オブ・ミュージック」。スカラ座のプログラムの表紙ですが、この発行年を見ると、昭和45年(1970年)となっているので、リバイバル・ロードショーのときのもののよ…
以前、「ロシュフォールの恋人たち」を紹介しましたが http://bit.ly/NqQRrh">*1、我が家で発掘されたプログラムには、ミュージカルがかなりあります。ということで、ミュージカルです。 1964年(昭和39年)公開の「マイ・フェア・レディ」。ブロードウェイ…
かつて東和とか、ユナイトとかいった外国映画の配給会社は、洋画ファンのクラブを組織し、会報を出していました。その「東和シネクラブ」、昭和46年(1971年)4月30日発行の会報の表紙です。 米国人女優、ミムジー・ファーマーです。その経歴などは後から、…
インドシナ戦争、アルジェリア戦争というフランスの2つの植民地における独立戦争を舞台にした映画です。 1966年(昭和41年)公開の「名誉と栄光のためでなく」。植民地の独立を鎮圧するために投入されたフランスのパラシュート部隊を主人公にした物語が、ハ…
1960年代後半から1970年代にかけての米国カルチャーの中心には、自動車とロック・ミュージックがありますが、それが底抜けの明るさという風にはならなかったのは、ベトナム戦争のダークな影響が心の重くのしかっていたからです。そんな時代の米国の心象風景…
「フラバー」といっても、ロビン・ウィリアムス主演の1997年のリメイクではなく、1961年(昭和36年)のオリジナル版、元祖「フラバー」。そのプログラムの表紙です。 主役の「うっかり博士」として発明にいそしんでいるのは、フレッド・マクマレーです。いつ…
日本が生んだ国際スター、三船敏郎はハリウッド映画に積極的に出ていました。そんな一作です。 三船敏郎、リー・マーヴィン主演、ジョン・ブアマン監督の「太平洋の地獄」。1968年(昭和43年)の作品です。太平洋戦争下、太平洋の孤島にたどり着いた米兵と日…
1964年(昭和39年)ですから、東京オリンピックの年に公開された日米合作映画のプログラムです。 「あしやからの飛行」ーーご覧のように、手前からユル・ブリンナー、リチャード・ウィドマーク、ジョージ・チャキリスといった豪華出演陣です。チャキリスは19…
既に一度、映画のチラシを紹介しましたが http://bit.ly/LxGRP5">*1、プログラムが発掘されましたので、改めまして... 1969年(昭和44年)公開の「失われた男」。ニュー東宝のプログラムの表紙です。黒人男性は米国の名優、シドニー・ポワチエ、寄り添う女性…
レイ・ブラッドベリが91歳で亡くなりました。ブラッドベリの小説の映画化というと、有名なのは、フランソワ・トリュフォー監督の「華氏451度」ですが、この小説もロッド・スタイガー主演、ジャック・スマイト監督で映画化されました。 1969年(昭和44年)…
映画初期のスラップスティック・コメディの面白さを1960年代に復活させた映画がこちら... 1965年(昭和40年)公開、ブレイク・エドワーズ監督の「グレートレース」。そのプログラムの表紙ですが、保存状態が悪かったので、ちょっと汚れています。 映画は20世…
ターザンといえば、今ではディズニーのアニメを思い浮かべるのかもしれませんが、実写版といえば、やはり、この人、ジョニー・ワイズミュラーなんでしょう。で、こんなものが... 昭和12年(1937年)3月に新宿の洋画封切館、武蔵野館が発行した「MUSASHINO NE…
1971年製作、1972年(昭和47年)日本公開ですから、既にテレビも含めてカラー全盛期に、モノクロで撮影された青春映画といえば、こちら... 「ラスト・ショー」のプログラムの表紙です。原題の「The Last Picture Show」のほうが映画の内容をよく表現していま…
1930年代の世界を代表する子役の大スターといえば、シャーリー・テンプルです http://bit.ly/MF2dJD">*1。芦田愛菜ちゃんの比ではありません。何しろ当時、日本の映画館のちらし(会報)でも、表紙を飾っていたのですから。こんな具合に... 1935年製作、1936…
クリント・イーストウッドの「ダーティ・ハリー」とともに、1970年代を代表する刑事映画であり、追跡型アクション映画の傑作。それがこちら... 「ダーティ・ハリー」と同じく、1971年製作、1972年(昭和47年)に日本で公開された「フレンチ・コネクション」…
1970年代は新しいタイプの刑事モノ映画が生まれてきました。その代表的な1本が1971年製作、1972年(昭和47年)日本公開のこちらです... 44マグナムをぶっ放すクリント・イーストウッド。ご存知、「ダーティ・ハリー」です。それまでの刑事物といえば、小ぶり…
ファッションから音楽まで、これほど世界のポップ・カルチャーに影響を与えた映画はないかもしれません。みんな、ハーレー・ダビッドソン風のバイクに乗りたくなった、1969年製作、1970年(昭和45年)日本公開の、この米国映画... プログラムの表紙にある映…
今では、クラシックな米国の青春映画だが、1968年(昭和43年)に日本で公開されたときは、これもアメリカン・ニューシネマの流れの作品と位置づけられていました(製作は1968年)。ダスティン・ホフマンを一躍ビッグスターにした「卒業」... 日比谷みゆき座…
1960年代後半に台頭したアメリカン・ニュー・シネマの先駆的作品にして代表作といえば、この映画... 「俺たちに明日はない」。1967年の製作で、1968年(昭和43年)に日本公開。原題は「Bonnie and Clyde」で、原題とは全く関係ない大胆な邦題です。ヒロイン…
歌の「いちご白書はもう一度」は聴いたことがあっても、映画を見た人はそれほどはいなかったのではないかと思う、この映画。その公開当時のプログラムの表紙です。 日本公開は1970年(昭和45年)。70年安保闘争など、大学が熱かった時代です。団塊世代のノス…
ディズニー映画の「ジョン・カーター」が歴史的な大コケを演じて、話題になっていますが、ハリウッドの大コケ映画史を振り返ったとき、必ず出てくる映画が、マイケル・チミノ監督の「天国の門」と、エリザベス・テイラー主演、ジョーゼフ・L・マンキウィッツ…
スティーブ・マックイーンというと、スピード大好き、マシン大好き、レース大好きというイメージがあるが、そのマックイーンがカーレーサーを演じた映画というと、1971年(昭和46年)公開のこちら... ル・マン24時間レースを描いた作品で、マックイーン扮す…
マイケル・クライトンの小説はいくつも映画になっているが、これも、そのひとつ。1971年(昭和46年)製作・公開のロバート・ワイズ監督の作品... 米国の田舎町に落下した衛星に地球外の未知の病原体が付着していたため、付近の住民たちは死に絶えるのだが、…
1日遅れですが、昨日5月10日は、ハリウッドの伝説のミュージカルスター、フレッド・アステアの誕生日。ということで、フレッド・アステア主演の「トップハット」のチラシ。2つ折りで、こちらが表紙... 1935年製作。日本公開は1936年(昭和11年)。ちょっとレ…