ロマン・ポランスキーがフランソワーズ・ドルレアック主演で撮った英国映画「袋小路」

 ポーランド出身のロマン・ポランスキーが英国で撮った初期の映画です。

 1966年の製作ですが、日本で公開されたのは5年後の1971年(昭和46年)という「袋小路」(Cul-de-Sac)です。ポランスキーは、1968年製作・1969年日本公開の「ローズマリーの赤ちゃん」の大ヒットで一躍、人気監督の仲間入りしたので、公開しやすい条件が整ったということでしょう。でも、ATG(日本アート・シアター・ギルド)系の公開ですから、アートな映画だったわけです。プログラムもアートシアターらしいアートな表紙です。

 で、表紙を開きますと...

 ATGですから、主役は監督のロマン・ポランスキーです。俳優として映画に出ていたりもしましたから、絵になる人です。

 左ページの広告は、チャールズ・ブロンソンの「夜の訪問者」。ブロンソンの全盛期でもあったのですね、1971年当時は。

 そして、さらにページをめくりますと...

 主演女優のフランソワーズ・ドルレアックカトリーヌ・ドヌーヴのお姉さんです。こうして見ると、よく似ていますね。

 右ページは、このプログラムといいますか、アートシアターの会報でもあるわけですが、その目次です。目次の上に「ATGだより」がありまして、次回作「書を捨てよ町へ出よう」の告知です。団塊世代には懐かしい寺山修司の映画です。

 さて、アート系のプログラムらしく、ロマン・ポランスキーフィルモグラフィーがあります。

 このリストを見ますと、「袋小路」は、ポランスキーが1962年にポーランドで撮った「水の中のナイフ」で注目され、英国に出て1965年にカトリーヌ・ドヌーヴ主演で「反撥」を撮り、1967年にハリウッドで「吸血鬼」をつくる前、その間の作品であることがわかります。こうしてみると、英国では、ドヌーブ、ドルレアックと、この新進フランス女優姉妹(妹、姉の順ですが)をヒロインに映画をつくったわけですね。

 もうひとつ気づくのは、1968年の「ローズマリーの赤ちゃん」でポランスキーは大ブレークし、この「袋小路」も1971年に日本で公開されることになるわけですが、この間、ブランクがあります。その理由は、ポランスキーを襲った悲劇です。ポランスキーは「吸血鬼」に出ていた女優のシャロン・テートと1968年に結婚するのですが、チャールズ・マンソンのカルト集団に家を襲われ、妊娠中のテートが惨殺されるという「シャロン・テート事件」が起きます。ポランスキーが監督した次回作「マクベス」の公開は1971年秋ですから、3年間ブランクがあったわけです。

 一方、フランソワーズ・ドルレックも1967年6月、25歳の若さで交通事故死していますから、この映画の公開の時には故人でした。映画ができてから日本で公開されるまでの5年の間に、2つの悲劇があったわけです。

 さて、アートシアターのプログラムには数少ないグラビアページです。

 まずはポランスキーの演出風景。下のメガネでスキンヘッドの男優は、ドナルド・プレザンス。「大脱走」の失明してしまう偽造の名人とか、「007」シリーズでブロフェルド役とか、多くの映画に出ています。

 フランソワーズ・ドルレアック、やっぱりカトリーヌ・ドヌーヴに似ています。姉妹ですねえ。

 アートな雰囲気です。そしてスタッフ・キャストなども含めたページを。

 裏表紙は次回予告です。

 寺山修司の第1回監督作品「書を捨てよ町へ出よう」、そしてATG創立10周年記念映画と銘打たれた大島渚監督の「儀式」。1970年代の日本のアート映画の香りがします。

 最後に、このプログラムには、「書を捨てよ町へ出よう」のスチル写真が出ていまして、そちらをおまけで。

 上の入浴中の「美女」。キャプションにもありますように、丸山明宏(美輪明宏)さんです。お宝写真かもしれません。

 で、ポランスキーの「袋小路」に戻りますと、BSなどでも放映されていたことがありますから、DVDもありました。

袋小路 [DVD]

袋小路 [DVD]

 ポランスキー初期の「水の中のナイフ」「反撥」とセットになったボックスもあるようです。こちらの場合、ドルレック・ドヌーヴ姉妹競演を楽しめます。 おまけで、寺山修司の「書を捨てよ町へ出よう」は、もうすぐHDリマスター版が出るようです。