昭和50年、三島由紀夫作品連続公演の完結編は「わが友ヒットラー」

 昭和45年(1970年)11月25日、三島由紀夫自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げました。小説家の三島は優れた劇作家でもありました。そこで、命日にちなみまして、こんなプログラムを...

 没後2年経った昭和47年12月から始まった三島由紀夫作品連続公演の完結編として新宿・紀伊國屋ホールで上演された「わが友ヒットラー」のプログラムの表紙です。昭和50年(1975年)6月の公演です。

 表紙を開きますと...

 演出は石沢秀二です。この芝居、アドルフ・ヒトラーと突撃隊のレーム、ナチス左派のシュトラッサー、そして軍需財閥のクルップという男4人の芝居です。演じたのは...

 ヒットラーを演じたのは平幹二朗。レーム役の尾上辰之助は歌舞伎の人ですが、こうした現代劇やテレビでも活躍した華のある役者さんでした。昭和62年(1987年)に40歳で亡くなりました。早すぎますね。

 このプログラム、三島由紀夫による「『わが友ヒットラー』覚書」も収録されています。

 スタッフ・キャスト、そして物語の紹介です。

 ヒットラーに関する写真入りの解説も4ページありますが、ここでは最初のページだけ...

 平幹二朗尾上辰之助のプロフィール紹介です。

 若いです...

 三島由紀夫作品連続公演の舞台写真も収録されています。

 昭和47年12月ですから、三島由紀夫の三回忌の年に「鹿鳴館」でスタートし、歌舞伎も入れながら、「癩王のテラス」「サド侯爵夫人」と来て、最期が「わが友ヒットラー」だったわけです。出演者のリストもあります...

 錚々たる面々です。「春の雪」は佐久間良子と先代の市川海老蔵。歌舞伎の中村勘三郎は十七代目でしょう。「癩王のテラス」は北大路欣也だったんですね。

 松竹の公演とあって、プログラムの中には映画の宣伝もありました。

 松本清張の「球形の荒野」。竹脇無我島田陽子の共演でした。

 最後に、三島作品の連続公演を企画した松竹の伝説的な演劇プロデューサー、永山武臣(雅啓)のご挨拶...

 永山武臣氏、のちに松竹の社長、会長となられるのですが、このときは雅啓という名前を使っていたようです。プロデューサー用でしょうか。ともあれ、これを読みますと、8作品の連続公演で、観客動員数は20万人だったそうです。当時の三島由紀夫の人気ぶりを伺わせます。と同時に、三島由紀夫の作品、それも「わが友ヒットラー」を新宿の紀伊國屋ホールという、反体制派のど真ん中みたいな場所でやってしまう企画力もなかなかです。

 ただ、この劇、ヒットラー・ノスタルジーみたいな話ではありません。三島に対する、ある種の先入観で、食わず嫌いにしておくのは勿体ない政治劇の秀作です。ヒトラーナチス右派のレームも、左派のシュトラッサーも粛清した「長いナイフの夜」を題材にしていますが、そこにクルップも登場し、財閥が政治家を飼っているつもりだったのが、その思惑を超える怪獣へと変異してしまう姿も描かれます。丁々発止の台詞劇で楽しめますが、どこか哀しく、そして怖い話ともいえます。ヒットラーだけでなく「わが友スターリン」でも「わが友、毛沢東」でも成り立つ物語なんでしょう。

 ともあれ、「君は左を斬り、返す刀で右を斬ったのだ」とクルップに褒められたヒットラーが「そうです、政治は中道を行かなければなりません」という最後の台詞が皮肉であり、人を食っています。もっとも、これも昭和の激しい左右対立のなかで際立つ言葉で、最近のように、ほとんどの人が右側にいて、左側に空席が目立つような状態だと、印象もちょっと変わってくるんでしょうか。今の空気からいうと、「そうです、無党派が一番です」とでもなってしまうんでしょうか。

 グダグダ書きましたが、劇作家としての三島由紀夫の大きさを象徴するプログラムであります。合掌。

 さて、「わが友ヒットラー」は「サド侯爵夫人」とともに文庫本になっています。

サド侯爵夫人・わが友ヒットラー (新潮文庫)

サド侯爵夫人・わが友ヒットラー (新潮文庫)

 おまけで、「球形の荒野」のDVDも...

<あの頃映画> 球形の荒野 [DVD]

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 松本清張の原作はこちらです。
球形の荒野 (上) 長篇ミステリー傑作選 (文春文庫)

球形の荒野 (上) 長篇ミステリー傑作選 (文春文庫)

球形の荒野 (下) 長篇ミステリー傑作選 (文春文庫)

球形の荒野 (下) 長篇ミステリー傑作選 (文春文庫)

 この連続公演を実現した永山武臣は松竹の社長にもなった人ですから、「私の履歴書」にも登場しています。

歌舞伎五十年―私の履歴書

歌舞伎五十年―私の履歴書